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大阪高等裁判所 昭和29年(う)978号 判決 1954年11月12日

控訴人 原審検察官 吉川栄之助

被告人 山田文五郎

検察官 友沢保

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は記録に編綴してある大津地方検察庁検事正代理次席検事志賀親雄提出の控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用する。

同控訴の趣意について、

論旨は要するに原判決が本件公訴事実に対し、被告人の採つた手段を刑法第二百三十三条の偽計に該当せず軽犯罪法にいう「悪戯」の程度であると認定し同法を以て処断したのは事実の認定に重大な誤謬を犯し、法律の解釈適用を誤つたものと主張する。しかし刑法第二百三十三条にいう「偽計ヲ用ヒ」とは人の業務を妨害するため、他人の不知或は錯誤を利用する意図を以て錯誤を生ぜしめる手段を施すことをいうのであつて、列車の制動機を故なく緊締する場合、他人がその事実を知らないこと或は緊締していないものの如く錯誤に陥つたことを利用して業務を妨害せんとするの意図に出たことが認められないかぎり、刑法第二百三十三条を以て律することはできないのである。本件についてみるに被告人は司法警察員に対する第一回供述調書中において「別に鉄道側に怨みもなく又そのような悪い事をせなければならないわけもなかつたのでありますが、かんたんに考えてやつた」旨供述し、この供述調書や被告人の原審公判調書中の供述記載並びに当審の証拠調の結果に徴すれば被告人は原判示の如く列車が河瀬駅に到着し下車せんとするに際したまたま列車の振動で判示制動機のハンドルが被告人の身体に触れたところから単なる興味にかられ面白半分に手でハンドルを七、八回廻転し爪車に爪(制動機の緩解を阻止するための装置-当審検証調書及び添附の図面写真参照)をかけたままにして降車したことが認められるのであつて、被告人が該列車の進行妨害のため前示制動機を緊締しこれを緊締していないように他人を錯誤に陥らしめ、この錯誤を利用する意図の下に本件所為に及んだものであるとは記録上到底確認し難い。所論は被告人の年齢経歴犯行の手段その他諸般の事情からみて同人が面白半分に本件を犯したと認めることは経験法則に反する認定であるというが、なるほど所論の点を考察するならば被告人には前示の如く制動機を緊締すれば列車の運行に支障を来すとの認識があつたことはこれを否定し得ないところであるけれども、それだけで進んで列車運行妨害のためにする制動機緊締に関する他人の錯誤利用の意図の存在までも肯定することはできず記録中の諸資料を検討してみても被告人が敢て右のような意図を抱いたと首肯するに足りる事情は見当らない。従つて被告人の本件所為は刑法第二百三十三条の定める偽計を用い他人の業務を妨害した罪に当るものとはなし難く、当審証拠調の際における被告人の供述によつても明かなように同人は幼少時木から落ち大怪我をして智能の程度に多少劣るものあることが窺われるのであり、むしろ叙上認定の如く興味にかられ面白半分の気持から出た所為即ち悪戯と認めて誤なくこれを以て経験法則に反する認定ということはできない。更に又検察官は本件犯行の手段が偽計なりや或は悪戯に過ぎないかは行為自体について判断すべきであると主張するけれども、法にいわゆる偽計を用いたとなすべきであるかどうかの点は既に説明した意図の有無如何によつて決せられるものと解すべく行為自体重大な結果を招来する虞あるときでもそれだけで常に刑法第二百三十三条の罪を構成するとはかぎらない。被告人の本件所為はこれにより列車を出発不能に陥らしめその異状状態の発見と是正に鉄道従業員に時間を空費させて定時より約三分間遅延させて発車せしめたことは所論のとおりであるが、もしそれその所為にして列車往来の危険を生ずるが如き重大なものであるならば刑法第百二十五条往来危険罪等を以て問擬するとか又その他の犯罪の構成要件を充足するならばその該当法規を適用して処罰すべきは格別列車の運行妨害のため他人の不知或は錯誤を利用する意図を以てなされたとは認められない本件を行為自体重大の一事を以て刑法第二百三十三条にいう偽計を用い人の業務を妨害したものと解することはできないのである。そして被告人に対しては原判決挙示の証拠により原判示事実を認定するのを相当とするから本件は軽犯罪法第一条第三十一号により処断すべく原判決の法律の解釈適用には何等誤りない。縷々の所論を検討し記録を精査してみても原判決には所論のような違法は一も存在しないから論旨はすべて理由がない。

よつて刑事訴訟法第三百九十六条に従い主文のとおり判決をする。

(裁判長判事 吉田正雄 判事 山崎寅之助 判事 大西和夫)

検察官の控訴趣意

原判決は、本件公訴事実に対し、被告人の採つた手段が刑法第二百三十三条の偽計に該当せず、軽犯罪法にいう「悪戯」の程度であると認定して同法を以つて処断したのであるが、これは事実の認定に重大な誤謬を犯し、法律の解釈適用を誤つたものである。

刑法の業務妨害罪の外に、軽犯罪法で「悪戯など」の方法による業務妨害行為を禁止する規定を設けた所以は、刑法にふれない程度の些細な方法をもつてする業務妨害行為を禁止する法意であつて、同法が「悪戯などで」という表現を用いた点からも察知出来るように、刑法の威力又は偽計に該当しない行為、即ち深い魂胆もない単純な手段による些細な行為を指すものと解すべきである。

原審は、本件被告人が制動機を「面白半分」に廻したものと認定しているのであるが、これは、被告人の年令、経歴、犯行の手段、其の他諸般の事情から見て到底首肯出来ない。被告人は犯行時既に二十五才に達して是非弁別の能力は十分に備えている年令層にあるから、児童の行為と同視すべきでなく、又被告人が殆んど常習として闇米の運搬を業としている事実、本件ハンドルが制動機である事は十分知つていた点、当時之を七、八回も廻転した事実、これを緊締すれば列車の発車に困難を来し運行に支障を来すことは認識していた事実(司法警察官に対する第一回供述調書)等を綜合すれば、被告人が「面白半分」に本件を犯したと認むることは経験法則に反する認定であるといわざるをえない。

原審は、被告人の公判廷における弁解に眩惑されて事実の認定を誤つたものである。

仮りに、原審認定の如く、本件が面白半分に行われたとしても、それは単に動機に過ぎないのであつて、本件犯行の手段が偽計なりや、或は悪戯に過ぎないかは、行為自体について判断すべきである。

思うに、刑法第二百三十三条にいわゆる偽計とは、他人の正当な判断、又は実施を誤らしむべき一切の術策をいうのであつて、必ずしも隠密裡に行われる必要はないものと解すべきである。

本件の如く、汽車の制動機をそれが廻らなくなるほど七、八回も廻わせば、列車の運行に支障を来すべきことを被告人が認識していた事は前記の通りであり、事実被告人の犯行により、列車の出発不能に陥り、その異状状態の発見と是正に鉄道従業員に時間を空費させて、定時より約三分間遅延さして発車せしめたのであるから、かように時間の正確が強度に要求される国鉄業務に重大な(場合によつては危険な)結果を招来する如き行為を軽犯罪法にいう「悪戯など」による業務妨害と解することはわれわれの法律感情の許さないところであり、原審は法律の解釈適用を誤つたものというべきである。

以上の如く、右の事実誤認と法律の適用の誤りは判決に影響を及ぼすことが明かであるから、原判決を破棄し、更らに相当の裁判を仰ぐため本件控訴に及んだ次第である。

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